2008年一学期講義 科目名 学部「哲学講義」大学院「現代哲学講義」 入江幸男

講義題目「アプリオリな知識と共有知」


第10回講義 (2008年7月15日)


§9 共同注意(Joint Attention

 

1、「誤信念課題」の説明

Heinz Wimmer & Josef Pernerの有名な「誤信念課題」を説明しよう。

 

「マキシは、チョコレートを緑のタンスの中に入れる。次に、マキシが見ていないところで、他の人間が、そのチョコレートを青のタンスに移してしまう。そこにマキシが戻ってくる。このような「お話」を被験者の子どもに聞かせたあと、被験者の子どもにこう質問する。「マキシはどちらの色のタンスにチョコレートをとりに行くかな?」この実験結果によると、正しく「緑のタンス」と答えた割合は、3−4歳の子どもでは0%、4−5歳では、57%、6−9歳では86%であった。つまり、4歳以下の子どもでは、マキシという他者の知識の世界を正しく推測できなかったことになる。」(金沢、70

 

つまり、3−4歳の子供は、マキシが自分と同じように考えると思っている。つまり、この段階の子供は、自分の知っていることを、他の人も知っていると考える傾向がある。 

しかし、自分の知っている全てのことを、全ての他人が知っている、と考えているかどうかは、この実験だけからは判らない。自分の知っていることと、他人の知っていることの区別はあるのかもしれない。たとえば、おもちゃを取ってほしくて「とって」という子どもがいうとき、「おもちゃをとってほしい」という自分の意図は、言わなければ相手がわからない、と思っているに違いない。あるいは、おもちゃが底にあることに、注意を向けさせるために、「おもちゃ」というように、自分の意図とに注意させるために「とって」と言うのであって、注意すれば、自分の意図は他人にわかると考えているのかもしれない。

以上のことは、何らかの実験によって確認すべきことであって、我々大人が推論してもそれが子どもの心に当てはまるかどうかは、判らない。とにかく、「誤信念課題」の実験からわかることは、3歳未満の子どもは、自分の心や他者の心について、そしておそらくは対象物についても、我々とは違った理解をしているということである。

 

デイヴィドソンは、次のように述べている。

「どのような言語なら形成半ばの心を記述するのに使えるのかということについてのはっきりした考えを、われわれはもっていないのである。ここに関係しているのは、非常に深い概念的な困難あるいは不可能性なのかもしれない。それは、思考の出現について完全な記述を与えようとすることは、おそらく克服不可能な問題をかかえている、ということである。発達心理学の分野にたずさわらなくて幸いだったと私は思う。」(「思考の出現」『主観的・間主観的・客観的』訳p. 206

このようにかたりながらも、デイヴィドソンは、この論文で「三角測量」において思考が出現すると主張している。

 

参考文献

1、金沢創『他者の心は存在するか』金子書房、一九九九年、六九、七十頁。

2、Heinz Wimmer & Josef Perner,Beliefs about beliefs: Representation and constraining function of wrong beliefs in young children's understanding of deception in “Cognition” Vol. 13. Issue 1. Science Direct, pp. 103-128.
3.2001wsの講義ノートを参照。

 

2、発達心理学の共同注意論

 

(1)トマセロの共同注意論

 

参考文献:Michael Tomasello, The Cultural Origins of Human Cognition, 1999, Harvard U. P. マイケル・トマセロ著『心とことばの起源をさぐる』大堀寿夫、中澤恒子、西村義樹、本多啓訳、勁草書房、2006年。

 

トマセロは、彼が「9ヶ月革命」とよぶ共同注意が成立するまでの段階を次のように大きく4段階で考えているといえるだろう。

 

第一段階:

生まれたときから赤ちゃんは他者を「自分に似ている」と理解している。(この指摘自体は、Meltzoff and Gopnik (1993)The role of imitation in understanading persons and developing a theory of mind (コーエン、フラスバーグ、コーエン編『心の理論』田原俊司監訳、八千代出版、下巻、16章)にある。

「ヒトの赤ちゃんは、個体発生の非常に早い時期から他の人間と同一化するということ、そしてこれはヒトに固有な生物学的遺伝に基礎がある。」99「それが社会的な環境との長期にわたる相互作用を必要とするかどうかについては分かっていない」99

 

第二段階:

(生後七、八ヶ月)赤ちゃんが自分を出来事を起こすことの出来る存在であると理解する。そして(シミュレーションにより?)他者もまたそのような存在だと理解する。「赤ちゃんが自分自身を、なにやらよくわからないやり方で出来事を起こさせる能力をもった有生の存在としてのみ理解している間、つまり生後七、八か月程度の期間は、他者に対してもそのような理解をしている。」(p. 100)

 

第三段階:

自分を意図をもつ存在だと理解する。そして(シミュレーションにより?)他者もそのような存在だと理解する。「赤ちゃんが自分自身を意図をもつ主体と理解し始めると、すなわち自分が目標を持ち、その目標が手段となる行為とははっきり区別されるということを認識し始めると、つまり生後八〜九か月になると、他者に対してもそのような理解の仕方をするようになる。」(p. 100)

 

 

この第二段階と第三段階の区別は、重要である。

トマセロは、二種類の他者理解を区別する。「自己運動と力の源としての他者、つまり有生の存在という他者理解」と、「行動および知覚に関して選択を行う存在としての他者、つまり意図をもつ存在という他者理解」の区別である。前者が、第二段階の他者理解であり、後者が第三段階の他者理解である。

 

以上をまとめると、次のようになる。

 

1:自分と他者は似ている。

2-1:自分は出来事を起こすことができる原因である

2-2:「自己運動と力の源としての他者、つまり有生の存在という他者理解」

3-1:自分は意図をもつ存在である。

3-2:「行動および知覚に関して選択を行う存在としての他者、つまり意図をもつ存在という他者理解」

4:共同注意

 

トマセロは、2-1から2-2への移行と、3-1から3-2への移行が、シミュレーションになると考えている。(入江:ここでの「シミュレーション」は、子どもは言葉を持たないし、自分心と他人の心の区別をしているかどうかもわからない段階なので、意識的な類推ではありえない。入江には、トマセロが、なぜ自分が有生であったり、自分が意図を持つことの理解が、他者のそれらの理解に先行するとかんがえるのか、判らない。それの証拠が示されているともおもわれない。)

 

 

共同注意のスキルを3種類に分ける(1pp. 83-84)

1、大人の注意をチェックする(生後9〜12ヶ月)

(協調行動、社会的障害物に対する反応、物の提示)

2、注意に追従する(生後11〜14ヶ月)

  (視線追従、指差し追従、指令的な指さし、社会的参照)

3、注意を向けさせる(生後13〜15ヶ月)

(模倣学習、宣言的な指差し、指示的な言語)

 

■言語習得における社会的認知の基盤129

 

「例えば、誰かが子供に向かって変な音を立てたり手を振ったりして、何らかの応答を期待している様子だとする。そういう雑音や手の動きに、学習され、常用されているコミュニケーション上の意味があるということがわかるようになるためには、子供は、雑音や手の動きの背後には特殊な意図、つまり伝達意図があるということを理解しなければならない。しかし、伝達意図の理解は伝達意図の社会的認知の基盤となるような、何らかの共同注意の場面でのみ可能である。さらに、このコミュニケーション参加者としての自分と相手の役割は交代できるということ、相手がいましたのと同じことを自分も相手に対してできるということがわからなければ、他者と同じように(同じような伝達手段を用いて)伝達意図を表現することは出来ない。」130

 

a)共同注意場面

(b)伝達意図理解

(c)役割交替をともなう模倣

 

 

■共同注意場面

「共同注意場面とは、子供と大人が一緒に第三の何かに、また第三の何かに向けられた相手の注意にある程度の時間にわたって注意を向けるという社会的なやりとりのことをいう。」

これに似た用語はこれまでもあったが、トマセロはこれに新しく「共同注意場面」という用語をあてた。それは、次の二つの特徴を強調するためであるという。

「第一に共同注意場面に何が含まれるかということである。共同注意場面とは、一方では、知覚される出来事とおなじではなく、子供に近くされる世界の中の一部のものだけを含む。他方で、共同注意場面は、言語的出来事と同じではなく、言語記号が明示的に示す以上の物を含む。共同注意場面は、したがって、より大きな知覚的世界とより小さな言語的世界の一種の中間、つまり社会的に共有されている現実の、重要な中間的拠点を占めている。」

「私が強調したい第二の本質的な特徴は、子供は他者とのやり取りにおける自分と自分の役割を、相手や物に対するのと何ら変わらない表示形態の一部として「外側」の視点から概念化し、共同注意場面に含まれる不可欠な要素として理解しているという事実である。」132

 

 

例えば、子供がおもちゃで遊んでいるところに、大人がやってきて、子供と一緒にそのおもちゃで遊ぶとしよう。このとき、そのおもちゃやそれで遊ぶ活動、また、子供自身と大人が、共同注意場面に含まれている。子供が床やソファーを未定手間お、それは共同注意場面の一部にはなっていない。「大切なのは、共同注意場面は、意図によって決定されるということである。つまり、共同注意場面は、子供と大人が自分たちの携わっているある目標をもった活動として、「わたしたちがしていること」が何だと思っているかによって共同注意場面となり、一貫性をもつ。」132-133

 

「大人が外界の物に注意を向ける様子を子供がモニターするようになると、その外界の物が子ども自身であることが分かる場合もある。子供は大人が自分に

なっている。

「子供が床の上でおもちゃで遊んでいるが、同時に部屋の中のほかのいろいろなものも知覚しているとする。大人が部屋に入ってきて、一緒におもちゃで遊ぶために子供に近づく。子供が自分と

 

 

「第二の重要な事実は、子供の観点から見て、共同注意場面が、共同注意の対象となる物、大人、そして子ども自身という三つの関係要素を同じ概念平面上に含んでいるということだ。」134

「大人が外界の物に注意を向ける様子を子供がモニターするようになると、その外界の物が子供自身であることがわがる場合もある。子度は、大人が自分に注意を向けるのをモニターするようになると、それによって、自分を外側からみることになる。それだけでなく、子供は大人の役割も同じ外側の観点から把握するので、総合的に言えば、子供は自分自身を役者の一人として含む全場面を上空から眺めているようなものである。」134

 

■伝達意図の理解

「子供が、大人が何かに注意を向けさせる意図で音を発しているということを理解したとき、初めて子供にとってその音は言語になる。」136

その理解のためには、

「他者も意図をもつ主体であるということを理解しなければならない。」136

「共同注意場面への参加が必要である」136

「共同注意場面の中で特定の意図的行為、つまり、伝達意図を表す伝達行為を理解しなければならない。」136

 

トマセロの実験はこうだ。

「チンパンジーと二歳から三歳の子供に、三つの容器のうち、どれにご褒美が入っているかを教えるのに、(a)正しい容器を指さす、(b)正しい容器のうえに小さな木片を印として置く、あるいは(c)正しい容器のレプリカを見せた。子供はすでに指さしを知っていたが、伝達用の符号として印やレプリカを使うことは知らなかった。それにも関わらず、子供はご褒美を見つけるために、そういう新しい符号を非常に効果的に使うことができた。」137

 

 

(2)大藪秦の「共同注意」論

大藪秦は『共同注意』(川島書店)で共同注意についての三つの分類方法を示している。その一つが「構成形態からの分類」(p.22)である。その分類を紹介しよう。

 

1、前共同注意:

「情動の通底的現象」と「新生児模倣」である。

 

2、対面的共同注意:

これは生後2ヶ月から半年の間にもっとも顕著に出現する。これは乳児が他者と視線をしっかり合わせる状態であり、Brunerは「2者の視線が出会う単純な共同注意」と命名しているそうである。

 

3、支持的共同注意:

生後5,6ヶ月「この共同注意は、乳児と他者のいずれかが相手の視線を追跡して同じ方向を見たり、そこに存在する対象物を注目したりするときに生じる。したがって、このタイプの共同中には二種類あることにある。一つは乳児の視線を相手が追跡する場合であり、もう一つは他者の視線を乳児が追跡する場合である。いずれの場合も乳児と他者は同一の方向あるいは同一の対象物をみている。しかし、このタイプの共同注意では、他者と同じ方向や対象物をみていることに乳児が気づいているかどうかは不明である。」25

 

「こうした「支持的共同注意」の場面で、乳児は注目する対象物と、相手の動きや発声とを重ね合わせる体験をする。乳児は一緒に対象物を共有しようとする相手の間主観的なかかわりのもとで、自らもその対象物を共有する関係に巧妙にそして否応なく巻き込まれている。なぜなら、母親が乳児とはまったく関係のない行動をし始めれば、乳児の対象物に対する関わり方は急激に変化するからである。乳児は対象物とだけかかわりをもつわけではない。他者の指示的関わりにきづき、それを全身で感じ取っている。同時的中止に過ぎないといわれる支持的共同注意は、相手が提供する足場によってしっかり支えられているのである。」26

 

乳児は、他者の注視に支えられて、対象を注視することを習得する。

 

4、意図共有的共同注意

「生後9ヶ月〜12ヶ月頃より、乳児の共同注意には新たな質的変化が生じる。乳児は、自分、大人、そしてこの両者が注意を共有する第三の対象物からなる3項関係をより緊密なものにし、参照的な相互作用に関わりだす。たとえば、乳児は自分の視線を柔軟に調整しながら、大人が見ている所を確実に見始める。新奇な対象物に対する情動を調整するための情報源として大人を利用し、また大人が物に対して振舞うのと同じように自分でも振舞おうとする。このような視線追跡、社会的参照、模倣学習といった行動は、対象物に対する大人の注意や行動に子どもが自分を合わせる振る舞いである。これとほぼ同じ時期、子どもは身振りを使って、自分が関心を持った対象に大人の注意や行動を誘導しようとし始める。命令的身振りや叙述的身振りであり、これらは子どもが大人の注意や行動を自分に合わせようとするものである。こうした行動は、組み合わされて、子どもが対象物と大人の両者に注意を配分しながら相互作用する共同注意の場面を構成しやすい。」27

 

「乳児による他者の目や顔のチェックを他者の意図性の確認行動とみなし、こうした他者への注意の配分を明確にともなう共同注意行動を「意図共有的共同注意」と命名する。」27

 

5、シンポル共有的共同注意

「生後15ヶ月から18ヶ月になると、多くの子どもが言語的シンボルを使用しはじめる。それは新たな共同注意領域の登場を意味する。ある事象をそれとは異なる動作や音声で表現するシンボリックな手段の獲得により、子どもは他者や対象物を統合する交流構造にシンボルを組み込み、共同注意場面に新たな領域を出現させる。子ども−対象物−他者という共同注意構造は、子ども−対象物/シンボル−他者という共同注意構造に変形されるのである。この共同注意形態の獲得によって、子どもは他者や対象物に注意を配分しながら、その対象物を表現するシンボルを他者と共有することが可能になる。本書では、このタイプの共同注意を「シンボル共有的共同注意」と命名する。」28

 

(3)アダムソンのコミュニケーション発達論

 

参考文献:ローレン・B・アダムソン著『乳児のコミュニケーション発達』(大藪秦・田中みどり訳川島書店)

 

■初期コミュニケーションの発達指標(p. 21

 

開眼 0ヶ月

相手の目を見る     2ヶ月

社会的微笑       2ヶ月

クーイング       2ヶ月

声をたてて笑う     4ヶ月

かなきり声、震舌音、うなり声、叫び声、 4ヶ月

規準的な喃語(「バババ」など)     7ヶ月

1語の理解       9ヶ月

10語の理解      10.5ヶ月

複雑な喃語       11ヶ月

指さし、        12ヶ月

50語の理解      13ヶ月

初語          13ヶ月(9〜16ヶ月)

10語の発語      15ヶ月(13〜19ヶ月)

50語の発話      20ヶ月(14〜24ヶ月)

二語文         21ヶ月(18〜24ヶ月)

 

■初期コミュニケーション発達の4段階(p. 41)

 

第一期:注意深さの共有(shared attentiveness)の時期

(誕生時(おそらくそれ以前に)〜満期産児で2ヶ月頃)

 

第二期:対人的関わり(interpersonal engagement)の時期

(生後2ヶ月頃〜生後5〜6ヶ月頃)

「乳児と養育者の注意が、彼ら自身相互に、また両者を結ぶコミュニケーション・チャンネルに、そして両者間に流れる親密なメッセージにも焦点化できる」「コミュニケーションの主たるトピックは、乳児とそのパートナーによる注意と情動の表現の共有という対人的なものである。この時期は社会的微笑と視線の接触(eye-to-eye contact)が特徴的である。」p. 42

この時期は、乳児が注意を周囲の対象物に移し始めることによって終わる。

 

第三期:対象物への共同関与(joint object involvement)の時期

(生後6ヶ月頃〜2年目の中頃まで、しかし終結時期ははっきりしない。)

「乳児は対象物について他者とコミュニケーションし始める。」「参加者は対象物への注意を共有でき(指示と呼ばれる機能)、対象物を扱うときには互いに援助を求めることができる(要請と呼ばれる機能)。さらに、乳児とそのパートナーが対象物についてコミュニケーションするときには、コミュニケーションに常に付随している文化的背景が対象物の扱い方に明確に現われる。」p. 43

この時期は、共有される対象がコミュニケーション場面に直結するものから次第に距離をとり始めることによって、終結する。

 

第四期:象徴的なコミュニケーションの出現(emergency of symbolic communication)の時期

(一般的には生後13ヶ月頃〜 )

「発達のこの時期に、よちよち歩きの幼児とその親とのコミュニケーションは、文化的なレパートリーに基づく交流方法が繰り返され拡張されるにつれて、慣例化し儀式化されるようになる。とくに顕著なことは、メッセージを伝達することばやその他の社会的に共有される手段が焦点になることである。こうした最初のことばは、しばしば人が行なっている活動と重なり、文字どおり手元にある対象物への言及であることが多い。」pp. 43-44

 

 

■象徴的コードの出現まで

泣き:生後直後から

クーイング:生後6ヶ月時 

喃語:生後7ヶ月 喃語

「生後7ヶ月ころ、乳児は突然規準喃語(canonical babbles )を発しはじめる。」207

「これ以前の発声と異なって、この最初の喃語は、一つの母音と最低一つの真からなる形式の整った音節の反復によって作られる。乳児が「バババ」「ダダダ」「マママ」というときのように、たいてい同一の音が反復される(reduplicated)。「アダ」や「イミ」のような非反復的音声もしばしば発せらえっる。」207

「生後11または12ヶ月までには、乳児は同一の喃語の流れの中に異なる音節が結合した多様化喃語(variegated babbles)も発し始める。」207

「この時点では、乳児は言語様の多様な音節を強力に一緒につなげて、意味不明のおしゃべりをさえずっているように聞こえる。」207

「第一に、喃語は言語と同じ構成要素である音素から構成されている。第二に、喃語の流れはしばしば平叙、命令、疑問の弁別的な抑揚パターンにしたがって、話し言葉のように流れる。」207

「最初の知見は、喃語は初語と違って、基本的に意図的コミュニケーションを待て発されるものではないということである。子どもは養育者と相互作用しているときよりも自分で対象物を探索しているときのほうが喃語を発しやすい。」208

「一度も喃語を発さずに話し言葉を話す子供が研究され、コミュニケーションのコンテクスト外で喃語が観察されるので、話し言葉への道における喃語の中心性については疑問がある。しかしながら、喃語は子どもが口腔−運動制御を発達させ、音素を音節の中に配列し、言語の旋律と詩的特質を認識するのを助けるとは言えるだろう。」211

 

原始語

原始語は語と主として2つの点で異なる。

「第一に、原始語は典型的には個人に得意な発明品である。」「原始語は、非常に個人化されているので、子どもと親密な意味集団のメンバーによってしか理解されないだろう。」211

「第二に、語と違って原始語は特定のコンテクストに固く付着している。このコンテクストは行為のルーティンかもしれないし(例えば、塔を打ち壊すとき「バム」といったり、自動車を走らせるとき「ブルル」といったり)、情動状態かもしれない(たとえば、嬉しいとき「ダダ」といったり、怒って泣いているとき「ママ」といったり)いずれにせよ、各々の原始語が用いられるのは、非常に類似したコンテクストに限られている。直接的なコミュニケーションのコンテクストから離れば、意味が消失してしまう。」212

「要約すると、原始語は特定のコミュニケーションのコンテクストの中で、進行中の社会的相互作用を調整するためや近くの対象物に興味を示すために意図的に用いられる。それは子どもの親密なパートナーにのみ意味の明らかな、個人に特有の形式である。」

これが、最初の言葉である、原始語は、子どもが発明したものであって、介護者から学習したものではないといえるかどうかは、微妙である。原始語を何時頃使うのかをアダムソンは述べていないが、カプランは、対象を求める叫び声の成立を、10~12か月頃としているので、このあたりだろう。つまり、これは初語の発声の前であろうが、しかし10語の理解とほぼ同じ頃であると思われる。何かを伝えたいという意図を同時に発生された音声を、大人が一定の意味の言葉として理解することによって、それは子どもと大人のあいだで使用される言葉になったのかもしれない。

 

初語:生後1013ヶ月

生後1013ヶ月のあいだに、ほとんどの子どもは慣習的な語を喃語と原始語に混ぜ始める。一つには、大人がしばしば「ダダ」とか「ママ」のような子どもの発明を大人自身の語彙に同化してしまうので、正確にいつ子どもが初語を言ったかにぴったりと照準を合わせるのはしばしば困難である。このようなことばに惑わされるのを避けるため、たいてい初語は見過ごし、10語の産出語彙が安定した指標として選択されている。子どもは大抵この発達指標に13~19か月のあいだに到達する。」212

 

 

「要約すると、子どもの初語はコミュニケーションの慣習化に向けて重要な一歩を印す。10語の産出語彙を蓄えるまでには、子どもは典型的には語の象徴的自律性への洞察も得る。この洞察により、異なるコミュニケーションのコンテクストで語を柔軟に用いることが出来るようになる。」216

 

語彙の急増

「しばしば生後約1719ヶ月のころ、子どもの語彙は爆発的に増加し、一週に5語以上の獲得率で拡大する(時として40語以上)その後この特筆すべき急増はうねりのように持続し、言語の無限の語彙目録を獲得するという発達上の任務が始まる。」216

 

「生後18ヶ月までには、子どもは平均約90語の産出語彙を有する。24ヶ月までには、約320語を話すと期待できる。6歳までには子ども学習の平均は、14,000語を超え、高校卒業前には人は約60,000語を獲得するのが普通であり、これは一日あたり平均10語以上の割合を意味する。」216

 

 

「継起的な一語発話」(successive single-word utterances)「コップ。アッチ。」217

 

「子どもが多語発話を用い始めるのはたいてい生後20ヶ月頃である(10種類の異なる句の使用が指標となる)。一文あたり、平均約2語になるのは満2歳の誕生日になってからである。」218

 

「要約

・・・喃語によって、子どもは音声パターンを新たな水準で制御できることを示す。原始語によって、彼らは要請や指示のようなコミュニケーション意図に音声を利用し始める。初語によって、養育者の慣習的言語コードを受け入れ始める。最期に、語彙の急増によって言語の象徴体系の認識の範囲と奥行きの双方を広げる。」221